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移植6年目に想うこと


無事に晟一 移植五年経過
移植当日の朝の感じとか 手術室入る時の氣持ちとか 急変してもうダメなのかもとか たくさんの人が 暖かい氣持ちを注いでくれたこととか 友達に抱きしめてもらうことがこんなに安堵するものなのか とか。。。

すべてのおかげで 今の晟一と 健康オタクになった私がいます

そして

私の父の母親が本日お空へ旅立った

祖母とは 一時期同居していたことがあり
ひなたはとてもなついていた

祖母と私は 仲たがいがあり
私が口唇口蓋裂で産まれた為
「手術するまでは、家に連れてくるな」と言われたことを、私自身、母親から 聞かされたことがきっかけで
同居したあと どうもうまくいかなかった

父親には おやつの果物を切ってあげる祖母は 私にはくれなかったりとか
たったそれだけのことが 氣になったり

祖母から愛されたかったのかな

多少冷酷なところのある祖母ではあったが
父親にとってはとてもとても大切な母親

父親に虫の知らせがあったのだろう
今は施設にいたおばあさんに面会
「もうええじゃろう。」をやたらと繰り返したそう

それを聞いて 面会に行ったこともなかった私も 行ってみようと思い 肺癌無治療のおばあさんのところへ クリスマスイブに面会

弱っていたし 酸素は外せない状況ではあったが 不思議なことに
とても 目が澄んでいて 穏やかな表情で 私に
「おおきくなったねぇ」と

もう40なのにね

人は 亡くなる前には こんなにも澄んだ瞳になるのかな
大往生なのかな

98歳を迎えた祖母

よく噛み 昔ながらのものが好物で
おしゃれで
4人息子の母親で


晟一がお腹にいる頃が 祖母との仲たがいが絶好調のときで

晟一が移植も必要なこともあり
これ以上同居は無理だと 私が母に訴えたこと
父親は、それを聞いて 祖母と出て行くと言ったこと
結局 原爆の施設に申し込んでいたところが空き 行ったこと

あんなに澄んだ瞳で 微笑まれると
自分がしてきたことが とても悔やまれた

足をさすりながら 泣けてきた
すみませんでした。。。。。

おとついは ひなたにも
「もうこんでええよ」と小声で言っていた

死を覚悟し受け入れていたのだろう

せめて足浴とかしてあげたかったなと
冷たい足を 触りながら思った

施設の一室で
誰にも見守られず お空へ
息子たちが到着したのは 30分後だった
私たちもそうだった


もう血の気のない
よく病院で私が目にしてきた光景があった

口があんぐりとあいていたので
顎にタオルを挟もうと 頬を触ると
まだ暖かくて

ごめんね
優しくできなくて

父は 母親を 優しく抱きしめていた
そんな父がまた悲しかった

よくがんばったね
ありがとう